さて、本稿では引き続き、エクシブ投資顧問の評価について語っていきたい。
株価が100円を割れからの復活
エクシブが野村證券出身者などによって運営されていることは、上述した。
繰り返しになるが、彼らには、バブル崩壊後の歴史の教訓を十分に生かした助言を行ってもらいたい。日経平均が歴史的な高値水準に位置している今こそ、過去の歴史から学べることが多々あるからだ。
1990年代の記憶
俺が駆け出しのサラリーマンだった1990年代から2000年代初頭の金融危機の時代、株価が100円を割れる企業が続出した。しかし、そこから見事に大復活を遂げた企業を何社も目の当たりにしてきた。倒産寸前の企業が再生を果たす姿は、いつでも感動的だった。以下の一覧をよく見て欲しい。
銘柄名 | 最安値 | 2004年11月末時点の株価 | 復活の理由・内容 |
---|---|---|---|
日本冶金工業 | 12円 | 486円 | ステンレス専業大手。人員削減、工場閉鎖などのリストラ効果と価格の回復で好転 |
藤和不動産 | 22円 | 248円 | リゾート開発などで有利子負債増加。2度の債務免除を受ける。マンション事業を強化 |
三井鉱山 | 29円 | 409円 | セメント生産から撤退し、燃料などに集約し強化。産業再生機構の支援の下で再建 |
いすゞ自動車 | 31円 | 307円 | 乗用車事業や米国での多目的スポーツ車生産から撤退。トラック業界トップの利益に |
住友金属工業 | 36円 | 137円 | 額面割れの株価だったが、製鉄所の再編、中国需要などで躍進 |
オリエントコーポレーション(オリコ) | 38円 | 270円 | 関連会社を通じた過大な融資で株価低迷。メインバンクの本格支援で信用不安解消 |
住金物産(現:日鉄物産) | 40円 | 231円 | バブルに踊ったイトマンを吸収。鉄鋼、繊維とも厳しかったが、食料、鉄鋼部門が好転 |
住友軽金属工業 | 45円 | 166円 | アルミ圧延業界トップ。メモリディスク事業から撤退。アルミの需要が堅調で増益に転じた |
住友重機械工業 | 46円 | 337円 | 受注製品から量産品へのシフトを進め、事業の統廃合を大胆に図った。艦船などは移管 |
合同製鐵 | 46円 | 387円 | 小型高炉を廃止し、電炉メーカーとして鉄鋼事業を強化。旺盛な需要で大幅増益 |
りそなホールディングス | 47円 | 182円 | 旧大和、あさひ銀行が母体。多額の不良債権を抱えたが、公的資金注入で再生 |
中山製鋼所 | 50円 | 395円 | 高炉から撤退。電力卸事業も大阪ガスに売却。鉄鋼事業に資源を集中 |
丸紅 | 58円 | 292円 | 不採算部門を縮小。小売業など戦略部門へのシフトで、収益力が急回復 |
ボッシュオートモーティブシステム | 66円 | 485円 | 旧社名ゼクセル。ディーゼル用噴射ポンプで国内トップ。工場再編などが奏功 |
JFE商事ホールディングス | 67円 | 563円 | 鉄鋼業界再編に伴うJFE誕生によって危機から浮上。川鉄商事と非上場のNKKトレーディングが統合。鉄鋼需要が回復し、業績が改善 |
川崎製鉄(現JFE) | 95円 (2001年12月) |
2960円 | 川崎製鉄とNKKが統合。製鉄所の再編効果もあり、鉄鋼業界最高の経常利益に |
NKK(現JFE) | 58円 (2000年2月) |
小泉&竹中コンビの偉業
ちなみに、これらの再生劇は、小泉純一郎首相と、その腹心の竹中平蔵氏による不良債権処理と経済改革の成果だった。小泉&竹中チームは、日本の資本主義を、国際ルールに則した透明性のある仕組みに変えた。その結果、日本の株式市場に対する世界の信頼は一気に厚くなった。この変革がなければ、2010年代のアベノミクス相場も実現しえなかった。そんな貢献を残した竹中軍団に対して、「新自由主義」などという空虚なレッテルを貼り、いつまでも文句を言い続けるのは全く的外れだ。
一覧から学べ
上記の一覧からも分かるように、底辺をはいつくばっていた企業が復活すると、株価は爆上げする。ただし、実際にはそのまま倒産する企業も多いため、リスクは大きい。
カギは「国際競争力」
いずせにせよ、投資顧問や証券アナリストに過度に依存するのでなく、その企業の「競争力」や「生存力」を、自分自身でしっかりと見極めなければならない。その際、カギを握るのが「国際競争力」だ。
逆行高
ここで、1990年代後半に起きた一部銘柄の「逆行高」に注目して欲しい。
山一・長銀事件後の「日本売り」
1996年から1998年にかけて、山一證券や長銀などの倒産劇が起き、日本株は下落した。株安と円安が重なり、「日本売り」一色となった。世の中に超悲観論が蔓延し、株価下落に拍車がかかった。
精密や自動車
しかし、この局面でも逆に上昇した銘柄があった。それらの多くは国際競争業種だった。具体的には「電機」「精密」などのハイテク及び自動車関連の主力銘柄群だ。
予想PER20倍のハイテク株
バリュエーションから見ても、当時の日本のハイテク産業には予想PER(株価収益率)が20倍台の銘柄が増加していた。
優良企業が割安に
当時は日本経済の現状を楽観できる状況にはなかったが、優良企業は明らかに割安になっていたのだ。
エクシブ投資顧問の存在意義
とはいえ、「電機」「精密」「自動車」といった業種だけで有望株を選別できるなら、エクシブ投資顧問のような助言会社は必要ない。実際には、業種だけでは有望か否かは判断できない。
勝ち組業界にも「負け組」がいる
勝ち組業界の中にも「勝ち組」と「負け組」が出てくるからだ。
日産自動車は倒産寸前だったが、救世主ゴーンによって救われた。
例えば、1990年代の自動車業界には、明らかに勝ち組と負け組が存在していた。
日産は倒産寸前の超負け組だった。それが、フランス政府(ルノー)と救世主カルロス・ゴーン氏によって救われた。 日産が復活したとたん、「ルノー不要論」を唱える輩が次々と現れたが、誠に恩知らずだ。
「大復活」こそが最大の狙い目
いずれにせよ、かつての日産のような「大復活銘柄」こそが、今の株式相場で最大の狙い目だとオレは考える。
だからこそ、エクシブ投資顧問の助言やレポートを読みながら、復活しそうな企業を見つける努力をしなければならない。
博報堂
業種別の「勝ち組・負け組」問題に関して、ついでに言うと、
博報堂はどのような位置づけなのであろう。
広告業界では、電通が断トツのトップであり、常に勝ち組だった。
業界2位の博報堂は万年ルーザー(負け組)かというと、そうとも言えない。
ざっくり言えば博報堂は、勝け組と負け組の間の「中間層」だ。
博報堂DYHD(博報堂DYホールディングス)が上場したのは2005年2月。
エクシブ投資顧問によると、博報堂の創業は、教育雑誌の広告取次店としてスタートした1895年にさかのぼる。
それから1世紀を経た2003年10月、大広と読売広告社の代理店2社を吸収した。
その持株会社として設立されたのが「博報堂DYホールディングス」だった。
一応、博報堂は海外でもビジネスを展開しており、完全な内需ではない。
それでも国際競争力は大したことないので、大化けはあまり期待できない。
従って「中間層」であると、エクシブは考えているようだ。
内需でも上昇する銘柄がある
さて、本稿では「国際銘柄」をやたらとプッシュしてきたが、海外で商売をしていない「内需銘柄」だからといって全てがダメとは限らない。
俺の銘柄「三愛」
例えば三愛オブリ(三愛石油)。これは、俺が唯一、実際に今でも保有している株式だ。自分で買ったわけでなく、うちの父親が積み立て方式で購入していたものだ。
内需どっぷり株
三愛オブリというのは、内需にどっぷりつかっているので、将来性はないと考えていた。だから、とっとと売却しようと思っていた。
売る方法が分からない
しかし、売却する方法がよく分からなかった。ネット証券が存在しない時代に、父親がアナログ方式で野村證券経由で買ったものだったからだ。
支店が消滅
どうやら野村證券の支店に、電話かなんかで注目すればいいようだ。父親によると、担当の支店は、横浜の「馬車道支店」らしい。ネットで調べたら、「馬車道支店」というのは閉鎖されており、もう存在しない。
売らなくて正解
そうなると、どうすればいいのか? なんて考えているうちに、三愛オブリの株価は、上昇してしまった。株価が2100円を突破した。売らなくて正解だった。
羽田の燃料を独占
三愛オブリという会社に調べてみたら、彼らは羽田空港に「油」を独占的に供給しているらしい。この「油」とは、飛行機が飛ぶために必要となる「エンジン燃料」だ。おかげで、収益力が高いようだ。
今後、株価がどうなるか分からないが、すぐにダメになる会社ではなさそうだ。
内需頼みは間違い
とはいえ、やはり本気で爆上げ株(急騰株)を発掘したいなら、「内需頼み」の企業では難しいだろう。仮に一時的に上がったとしても、長続きしない。
上記の三愛オブリも、ジワジワと値上りしたのであって、急騰したわけではない。やはり外需に目を向けるべきだ。
1980年代の族議員の過ち
そもそも内需企業の限界は、歴史が証明している。
農業・建設業が支えた自民党
1980年代の自民党政権は、比較優位性のない産業、つまり農業、建設業などをその存立基盤としていた。 族議員たちが今以上に跋扈(ばっこ)しており、業界利権の最盛期だった。
国際競争力のない産業が膨張
自民党は内需の拡大を「構造転換」だと言い張り、結果的にこれがバブルの発生とその崩壊を招いた。 護送船団的発想から、国際的に見て競争力のない産業を守ろうとした。
本来行うべき規制撤廃による市場経済への適合を、内需拡大とすり替えたのである。
「ジャパン・バッシング」
その背景には、「ジャパン・バッシング」があった。日本企業がアメリカに猛烈な勢いで製品を輸出し、米国内の産業が壊滅的な打撃を受けた。これに対する反発が米国で起きた。日本政府としては、産業の「外需依存」から脱する必要に迫られた面もあったのだ。
円高で自らを弱くする
これらの背景もあって、「円高・ドル安」へ誘導することが国策になった。 円高を進めて、自ら輸出競争力を落とし、そこで目減りした利益を内需で埋めようという発想だ。
こうした内需優先によって、競争力のないダメ産業が生き延びることになった。
失われた30年
バブル崩壊で、これら内需企業は壊滅的なダメージを受けた。 続く「失われた30年」では、外需が日本経済を支えた。今後の日本経済を支えるのも、海外のニーズにこたえられる国際企業であろうことは間違いないだろう。
高度成長期との違い
もう一つ、現在の市況を分析するうえで、避けて通れないのが「高度成長期」との比較だ。
5年間で人口が500万人増えた
1960年代前半、実質GDP成長率は平均10%程度もあった。 また、1960年から1965年にかけて、日本の人口は約485万人増加した。 一方、近年の日本の実質GDP成長率は平均1%以下だ。人口も減っている。
これからも日本は人口が減り続ける。財政も縮小に向かう。だからこそ、優良企業を選別する必要がある。
エクシブは羅針盤
そのためには「羅針盤」が必要だ。企業選別に関して高い評価を得ているエクシブ投資顧問は、相場の羅針盤としての役割が期待できる。