アニメのキャラクターを使った広告を展開する際には、クオリティを何より重視し、ファンの心理に気を配る姿勢が欠かせない。作品をよく理解し、キャラクターに合ったキャンペーンが求められる。的外れの使い方をすると、むしろ反感を買うことがある。
アニメやマンガに詳しい社員
実際、広告主や広告代理店では、アニメキャラを起用する際の担当者に、社内でアニメやマンガに詳しい社員が就くことが多い。彼ら、彼女らは日夜、アニメ作品の研究を続け、宣伝内容やキャンペーンに活かせるスキルを培っている。
マス媒体よりファンイベント
アニメと連動させた広告では、ファンの熱意に応える企画が効果を発揮する。例えば、マス媒体や店舗の目立つ看板での露出をあえて控えめにし、ネット上でファンイベントを開催する方法が多く採用されている。
ローソンの成功
例えばコンビニ「ローソン」では、人気水泳アニメ「Free!」の登場人物がコーヒーの売り上げに貢献した。Freeのキャラクターがローソンのカウンターコーヒー、「マチカフェ」のエプロンを着けたイラストグッズが抽選でもらえるキャンペーンだった。通常より22万杯もの上乗せ効果があったという。
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プレナス投資顧問のAIレポート等によると、広告業界や映像業界では、AI(人工知能)で俳優をキャラクター化し、CMに活用する技術が進んでいる。実際、「モーション・キャプチャー」とAIによって3D(立体)化されたキャラクターが、活躍するようになった。
俳優の3Dデータを収集
近年、ハリウッドの映画スタジオや芸能事務所(タレント・エージェント)は、俳優の3Dデータを収集している。この結果、映画がシリーズ化されても同じ容姿のまま俳優が出演できる仕組みが技術的には可能となった。その結果、俳優などが所属するタレント事務所(エージェント)と、映画会社の境界が曖昧になってきている。
3Dアバター(分身)
実際、ディズニーは、アメリカンコミックを映画化した人気シリーズ「アベンジャーズ」のようなキャラクターの権利を多数保有し、莫大(ばくだい)な利益を上げてきた。俳優などの芸能人が3Dアバター(分身)になれば、収益が増大する。
スターのCM出演
タレントがいったんキャラクター化すれば、CMへの出演は容易だ。一流のハリウッドスターは企業の広告には出たがらない。格が下がるからだ。しかし、自分の分身(アバター)のキャラクターであれば、CM出演させても構わないというスターが増えることも予想される。
ストライキの原因にも
とはいえ、AIで生成されたキャラクターばかりが使われるようになると、生身の俳優の仕事が減り、死活問題になる。
2023年に行われた全米俳優組合(SAG)のストライキでも、AIキャラの起用が、主要な交渉テーマの一つになった。
物語をAIが書く
動画CM業界では、「ストーリー作り」など作品のプロット(物語の筋)をAIに頼る動きも出ている。
AIが自動でシナリオや脚本を執筆するケースは、今後増えていくだろう。
短時間で数百パターンのアイデアを提示
こうした背景には、生成AIが膨大な過去のヒット作品や消費者の行動データを学習し、「どのような展開が視聴者の興味を惹きつけるか」という統計的な最適解を導き出せるようになったことがある。短時間で数百パターンのアイデアを提示できるAIは、クリエイターにとって強力なブレインストーミングのパートナーとなりつつある。
AIが「筆」となり、人間が「監督」
しかし、AIがすべてを代替するわけではない。AIが生み出した無数のプロットの中から、ブランドの哲学に合致し、社会の機微に触れるものを選び抜くのは人間の役割だ。いわば、AIが「筆」となり、人間が「監督」として最終的なクオリティを担保するという共同作業の形が、今後のスタンダードになるだろう。
没入型の映像体験を生み出す鍵
さらに将来的には、視聴者のプロフィールや視聴履歴に合わせて、ストーリーの結末や展開をリアルタイムで最適化する「パーソナライズ・ストーリー」の実現も期待されている。AIによる物語制作は、単なる効率化の手段を超え、これまでにない没入型の映像体験を生み出す鍵を握っている。
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プレナス投資顧問の分析によれば、日本におけるキャラクター広告の先駆者は、宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』『もののけ姫』などで有名な「スタジオジブリ」だ。
博報堂が常連に
ジブリは『魔女の宅急便』(1989年)以降、作品の出資母体に広告会社を含めるようになった。製作委員会と呼ばれる出資者連合の顔ぶれとして、ジブリ親会社の徳間書店や放映権を握りたい日本テレビのほか、博報堂や電通といった広告代理店が常連になったのだ。
徳間書店&日本テレビ連合と組む
中でも、博報堂は様々なジブリ作品に出資した。大規模開発に抵抗するタヌキたちの姿をユーモラスに描いた1994年の「平成狸合戦ぽんぽこ」では、博報堂、徳間書店、日本テレビの3社がメインの出資企業となった。このほか特別協力として読売新聞社が名をつらねた。
「もののけ姫」を電通に奪われる
ところが、1997年に大ヒットとなった「もののけ姫」だけはライバルの電通に奪わてしまった。ゼネラル・プロデューサーを務めた徳間康快・徳間書店社長(当時76歳)は「昔、電通には黒沢明監督の『まあだだよ』(1993年)で損をさせてしまった。“今度はもうけさせて”と電通に頼まれたんで『もののけ姫』で組んだ」と釈明した。とはいえ、もののけ姫で電通は日本生命と12億円という代未聞のタイアップに成功。博報堂は、ほぞをかんだ。
鈴木敏夫プロデューサー
ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、博報堂や電通に対して、「フォア・ザ・チーム(チームのために)」を訴えていた。『もののけ姫』では、日本生命(ニッセイ)のテレビCMを、ほとんど映画宣伝でしかないような内容に作り替えて、関係者に波紋を呼んだ。だが、「映画が成功しなければ、結局何にもならない」というのが鈴木氏の理屈だった。
東海林隆・博報堂社長が、電通副社長と同じひな壇に
「もののけ姫」の次の作品となった1999年の「ホーホケキョ となりの山田くん」は、博報堂と電通の両方が出資者となった。「となりの山田くん」の製作発表会見では、史上初めて東海林隆・博報堂社長と桂田光喜・電通副社長が同じひな壇に並び、広告業界を驚愕させた。徳間社長は「日本生命クラスのスポンサーを連れてきてもらう」という条件で再び博報堂と組んだという。
テレビ朝日は入れず
「となりの山田くん」は、いしいひさいちさんの4コマ漫画「となりのやまだ君」(後に「ののちゃん」に改題)が原作だった。1991年から朝日新聞の朝刊で連載が始まった。企画段階では当然、朝日新聞系列のテレビ朝日も提携に意欲を見せた。しかし、1989年の「魔女の宅急便」以来、ジブリ作品に出資、ジブリCG室にスタッフを派遣するなど、10年以上にわたって太いパイプを築いてきたのは読売新聞系列の日本テレビだった。
三菱商事、ネスレも
「となりの山田くん」の次の「千と千尋の神隠し」では、ディズニー、東北新社、三菱商事、さらに協賛企業としてはネスレ、ローソンが加わった。
商品価値を下げるタイアップ広告はNG
鈴木氏は、出資企業や協賛企業であっても、ジブリ作品の商品価値を下げるようなタイアップ広告は許さなかった。一方で、協賛企業から協賛金をビタ一文せびらない。異業種の大どころをズラリと並べ、それぞれの企業が本業を通じて宣伝活動を行ってもらう戦略だった。
異業種タイアップの効果
映画の知名度を上げるために、出版社は自社媒体を使う。テレビ局はCMを流す。コンビニは前売り券を売る。出資以外の金は動かないが、タイアップによる宣伝効果は絶大だった。
ハリウッド映画『A.I.』の宣伝費は18億円
『千と千尋の神隠し』と同時期に公開されたハリウッド映画『A.I.』の宣伝費は18億円だった。一方、ジブリが使えたのはその何分の一だった。しかし、露出はそれを上回った。
コストをかけずに、いかにハリウッド大作を超える宣伝量を確保するか――。鈴木敏夫氏は、その手法を確立したのである。
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日本におけるキャラクター広告ビジネスにおいて、歴史的な貢献をしたのが、映像制作会社「円谷(つぶらや)プロダクション」だ。特撮やアニメの作品づくりのほか、版権管理や海外への作品輸出、商品販売、アトラクション開催などに取り組んできた。現在はバンダイナムコが49%出資している。
「ゴジラ」の特撮監督
円谷プロは1963年、「株式会社円谷特技プロダクション」として誕生した。初代社長の円谷英二氏は1954年、東宝の怪獣映画「ゴジラ」第一作の特撮監督を務めた。
東宝の専属に
以後ドル箱となった「怪獣もの」を続々と製作する東宝の専属として活躍した。しかし下請けに飽き足らず、自身の企画を主にテレビへ供給する映像製作集団として、円谷プロを設立した。
エミー賞「トワイライトゾーン」がヒント
テレビ第一弾となったのが「ウルトラQ」(1966年)。米国エミー賞を何度も受賞しているSFミステリー番組「トワイライトゾーン」をヒントにした。東京五輪(1964年)で話題となった体操の「ウルトラC」にちなんだ。新聞記者たちが怪事件や怪獣に挑む作品で、白黒番組だった。
「ウルトラマン」で世界に怪獣ブーム
続く「ウルトラマン」(1966年)から、作品はカラー化された。特撮には映画並みに高品質な35ミリフィルムが必要だった。このため「ウルトラマンは地球で3分間しか活動できない」とし、着ぐるみを作り直して別の怪獣として使うなど費用を抑える工夫も重ねた。視聴率は30%を超え、怪獣ブームを巻き起こした。
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1954年(昭和29年)の第1作「ゴジラ」は、一部映像が差し替えられたうえで、アメリカでの公開を果たした。その後も、ゴジラ、ガメラ作品は海外に輸出された。米国では「Gファン」という怪獣映画愛好グループが発足。定期的に大会開催されるようになった。
「キングコング対ゴジラ」
1962年(昭和37年)のゴジラ第3作「キングコング対ゴジラ」は、東宝創立30周年映画だった。日米の2大キャラクターの対決だった。東宝は5年の期限でキングコングの映画化権を買い、キングコングをスクリーンに登場させた。
日米2大キャラクターの対決
このキングコング対ゴジラは、ゴジラシリーズ2作目から7年ぶりの新作だった。ゴジラにとって初の本格的な「対決もの」となった。観客動員数は実に1255万人にもおよぶ大ヒットとなった。
地球の守護者に
ゴジラは4作目の「ゴジラ対モスラ」で最後の悪役を演じた。そのあと、5作目の「三大怪獣地球最大の決戦」では、モスラやラドンとともに、宇宙怪獣キングギドラに対する地球の守護者となった。8作目の「怪獣島の決戦ゴジラの息子」では、ミニラの親になった。
アカデミー賞の視覚効果賞
ゴジラは、第1作から50年後となる2024年、「ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)」でアカデミー賞の視覚効果賞を受賞した。
「キンゴコング」は1977年にオスカー
ちなみに、1976年にリメイクされた米国映画「キンゴコング」は1977年のアカデミー賞で、視覚効果賞を受賞した。撮影賞と録音賞にもノミネートされている。
ゴジラ登場後の「怪獣映画」をめぐる日本の映画会社の争い
日本の怪獣映画史は、「ゴジラ」を生んだ東宝の独走から始まった。しかし、怪獣人気が高まった1960年代半ばになると、大映、松竹、日活、東映なども相次いで参入。各社は独自の怪獣や特撮大作を送り出し、海外市場も視野に入れた激しい競争を繰り広げた。その後、映画産業の斜陽化とともにブームはいったん衰えるが、怪獣文化はテレビへ受け継がれ、1980年代以降のゴジラ復活へとつながっていった。
ゴジラで東宝が独走
1954年(昭和29年)の日本初の本格的な怪獣映画「ゴジラ」以降しばらくは、田中友幸プロデューサー、本多猪四郎監督、円谷英二・特技監督らの下で、特撮怪獣ものは東宝の独壇場だった。
大映が「ガメラ」
1965年(昭和40年)、それまで「宇宙人東京に現わる」「釈迦」などの特撮映画を手掛けたこともある大映が、「大怪獣ガメラ」の製作に踏み切る。これが当たってシリーズとなる。翌1966年(昭和41年)の「ガメラ対バルゴン」は、「大魔神」との2本立てになった。その新聞広告には「日本映画は必ず復興する」というコピーが躍った。観客が減り続ける中、当時の映画会社の特撮怪獣ものへかける意気込みが感じ取れる。
松竹「ギララ」、日活「ガッパ」
1967年(昭和42年)には、松竹が「ギララ」、日活が「ガッパ」を製作した。
テレビ「ウルトラQ」の成功
日本の映画会社が次々と怪獣映画に取り組んだ背景には、テレビを通じて1966年(昭和41年)から始まった「ウルトラQ」で、怪獣ものの面白さが広がったことがある。
東宝の特撮スタッフが「日本特撮映画」
また、東宝の特撮スタッフが会社を離れ、「日本特撮映画株式会社」などの創設に参加したことも大きい。「ゴジラ」などの美術担当だった渡辺明氏は、「ガッパ」の特撮監督を務めた。
外貨を稼げる輸出商品として援助金
さらに、特撮怪獣映画がアニメと共に外貨を稼げる輸出商品だということで、日本映画輸出振興協会から援助金が出たことも見逃せない。
「ウエスト・サイド物語」のラス・タンブリン
海外上映を考慮して外国人俳優の出演も目立つようになり、「サンダ対ガイラ」には「ウエスト・サイド物語」のラス・タンブリン、「緯度0大作戦」には「第三の男」のジョセフ・コットンが出ている。
映画斜陽化でテレビの変身ヒーローものヘ
その後、映画の斜陽化と共に、怪獣映画の製作本数も年々減った。怪獣の活躍の場は、テレビの変身ヒーローものヘと移って行った。
「メカゴジラの逆襲」を最後に、10年近く休み
ゴジラも、1973年(昭和48年)のテレビ「流星人間ゾーン」に登場するが、映画「メカゴジラの逆襲」を最後に、10年近く休んだ。
宇宙SF「惑星大戦争」
1970年代後半(昭和50年代)に入ると、米国映画「スター・ウォーズ」のヒットなどに刺激され、「惑星大戦争」(東宝)のような宇宙SFが作られる。
1984年にゴジラ復活
そして1984年(昭和59年)、前年1983年の旧作フェアの成功とファンの熱望を受けて、ゴジラは復活した。
人気が再燃
1991年(平成3年)からは、キングギドラ、モスラ、メカゴジラ、ラドンという懐かしい怪獣も次々と登場。初期の特撮怪獣映画を見た世代が親になり、その子供との2世代に支えられて、ゴジラ人気は再燃した。
■ 日本の特撮怪獣映画(歴代)
| 公開年 |
映画 |
1954年 (昭和29年) |
「ゴジラ」(東宝) |
1955年 (昭和30年) |
「ゴジラの逆襲」(東宝) |
1956年 (昭和31年) |
「空の大怪獣ラドン」(東宝) |
1957年 (昭和32年) |
「地球防衛軍」(東宝) |
1958年 (昭和33年) |
「大怪獣バラン」(東宝) |
1959年 (昭和34年) |
「日本誕生」(東宝) |
1961年 (昭和36年) |
「モスラ」(東宝) |
1962年 (昭和37年) |
「キングコング対ゴジラ」(東宝) 「妖星ゴラス」(東宝) |
1963年 (昭和38年) |
「海底軍艦」(東宝) |
1964年 (昭和39年) |
「モスラ対ゴジラ」(東宝) 「三大怪獣地球最大の決戦」(東宝) 「宇宙大怪獣ドゴラ」(東宝) |
1965年 (昭和40年) |
「怪獣大戦争」(東宝) 「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」(東宝) 「大怪獣ガメラ」(大映) |
1966年 (昭和41年) |
「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘」(東宝) 「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」(東宝) 「ガメラ対バルゴン」(大映) 「大魔神」(大映) 「大魔神怒る」(大映) 「大魔神逆襲」(大映) 「怪竜大決戦」(東映) |
1967年 (昭和42年) |
「怪獣島の決戦ゴジラの息子」(東宝) 「キングコングの逆襲」(東宝) 「ガメラ対ギャオス」(大映) 「大巨獣ガッパ」(日活) |
1968年 (昭和43年) |
「怪獣総進撃」(東宝) 「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(大映) 「妖怪大戦争」(大映) 「ガンマ第3号・宇宙大作戦」(東映) |
1969年 (昭和44年) |
「オール怪獣大進撃」(東宝) 「緯度0大作戦」(東宝) 「ガメラ対大悪獣ギロン」(大映) |
1970年 (昭和45年) |
「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦!南海の大怪獣」(東宝) 「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(大映) |
1971年 (昭和46年) |
「ゴジラ対ヘドラ」(東宝) 「ガメラ対深海怪獣ジグラ」(ダイニチ) |
1972年 (昭和47年) |
「地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン」(東宝) 「怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス」(東宝) |
1973年 (昭和48年) |
「ゴジラ対メガロ」(東宝) |
1974年 (昭和49年) |
「ゴジラ対メカゴジラ」(東宝) |
1975年 (昭和50年) |
「メカゴジラの逆襲」(東宝) |
1977年 (昭和52年) |
「惑星大戦争」(東宝) 「恐竜・怪鳥の伝説」(東映) |
1980年 (昭和55年) |
「宇宙怪獣ガメラ」(大映) |
1984年 (昭和59年) |
「ゴジラ」(東宝) |
1989年 (平成元年) |
「ゴジラVSビオランテ」(東宝) |
1990年 (平成2年) |
「ウルトラQザ・ムービー」(松竹) |
1991年 (平成3年) |
「ゴジラVSキングギドラ」(東宝) |
1992年 (平成4年) |
「ゴジラVSモスラ」(東宝) |
1993年 (平成5年) |
「ゴジラVSメカゴジラ」(東宝) |
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「時代劇映画」は、昭和30年代に全盛期を迎えた。その時代をを支えたのは「東映京都撮影所」だった。多い年は百本近くを量産した。しかし、任侠(にんきょう)映画ブームが起こった昭和40年前後からは、時代劇の映画があまり売れなくなった。
東映の京都撮影所
ところが、東映は1978年、深作欣二監督、萬屋錦之介主演で時代劇「柳生一族の陰謀」を製作し、ヒットさせる。
12年ぶりの本格派時代劇だった。
この成功をきっかけに、東映の京都撮影所では年1作ぐらいの割で「真田幸村の謀略」「魔界転生」などが制作されるようになった。
松竹は「必殺」シリーズ
一方、松竹は1984年から、テレビの人気にあやかって「必殺」をシリーズ化した。
東宝は黒澤明監督「影武者」で成功
「世界のクロサワ」こと黒澤明監督は、1980年の「影武者」は、カンヌ映画祭の最高賞(パルムドール)を獲得。
東宝の配給収入は時代劇で歴代最高の27億円を記録した。
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